2007年02月13日

裏・働け!メモリちゃん#02

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Subject:バレンタインの件に関しまして
From:総務部 安藤芽森
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総務部 麦原マサハル様

今日はバレンタインデーですね。

バレンタインといえば
小学6年生のときに、私は当時クラスメイトだった片思いの相手に
初めてチョコというものをあげました。

あ、チョコというのは、麦先輩は御存じないかもしれないので
説明しますと、 正式には「チョコレート」という、
カカオの実から作られた甘いお菓子のことなんですが、
麦先輩は…知らないですかね、見たことないですもんね
知らなくても無理はありません。 すいません、なんか…なんかすいません…

まぁそのチョコを、下校の時を見計らって玄関で彼に渡しました。

彼(仮にA君とします)の名前は「橋之田はじめ」君といい、
クラスのみんなからはイニシャルが「H.H」なので「H2」ということで、
「水素」ということで、「水素爆弾」ということから、
「バク」と呼ばれていました。

バクは夢を食べると言われているので、チョコレートは食べないかなぁと
少し心配だったのですが、そぉっと差し出すと私の手ごと持っていかれるかという
くらいの勢いで奪い取り、アメリカ人ばりに包み紙を破り開け、
私が夜なべして作ったチョコをむさぼるように食べてくれました。

よっぽど食べたかったんでしょう、
彼は私に「ありがとう」の一言も言わずにチョコを食べていました。
私は聞こえるか聞こえないかくらいの大きさで舌打ちをしました。

「あらあら、そんなに急いで食べなくてもチョコは逃げないわよ。」
と私が言うと、そのバクは猛獣のような目で私をにらみつけました。
あんな恐ろしい目を私は見た事がありませんでしたから、
その場で思わずスケッチをしました。
そのスケッチはいつの間にかどこかへいってしまいました。
多分引っ越しのときかな…いや、いつかの大掃除のときかな…
今思うと、スケッチを描いたかどうかすら定かではありません。
たぶんスケッチはしてないです。

「バクはチョコ好き」

私がそんなことを思いながら上履きから外履きに履き替えていると、
急にバクの手(手というか、バクは4足歩行動物なので、
足と言ったほうがいいのか)が急に止まり、次の瞬間
鼻から大量の血を吹き出しました。

「大変! 鼻血だわ!」私は思いました。

そこに通りかかったクラスメイトのアケミ(ホステス)は、
「保健室の先生を呼んでくる!」と宣言し(のちにこれは
『ホステス宣言』として教科書に載ることとなったのだが
それはまた別の機会に。)、おもむろに走り出しました。

保健室は玄関から約42キロのところだったので、ホステス(アケミ)は
途中数回の給水をはさみながら(うち2回は失敗して廊下に水をぶちまける)、
なんだかんだで3時間48分という自己最高タイム
(小学6年生としては非公認ながらも日本記録。 
 それは現在でもまだ破られていない。)で保健室に到着。

彼女は保健室に辿り着くと同時に倒れ、救急車で病院に運ばれ担架でICUへ
(一旦間違えて、石油タンカーでICU(国際基督教大学のほうの)に運ばれましたが、
 間違いに気付いて引き返しました)運ばれ、
一時は命も危ういとまで言われましたが、なんとか一晩で峠を越し
一命をとりとめ、10年後の現在では立派なプログラマーとして
シリコンバレーで働いています。
ついこの間「どうよ、調子は。」といったたぐいの手紙をもらいました。
返事は出していません。

そんなアケミ(プログラマー)の話は置いておいて、
バクの鼻血(バク血、博打、もしくはパクチー)は止まりませんでした。

私はどこかに蛇口のハンドルが無いかと、バクの体中を探ったんですが
あるのは違う蛇口だけでした。
私がちょっと触っただけで、その蛇口はちょっと大きくなりました。
これはどうやら鼻血の蛇口ではないな、と思いました。
私ももう小6だったので、それくらいのことは知っていました。

『小6だからってナメないで』
というキャッチフレーズで芸能界デビューを図ろうかと
思ったくらいでした。
でもいろいろ考えてやめました。
今思うと「ナメる」というのもヒワイっちゃあヒワイだなと思います。

そういえば、タレントの井森美幸さんのデビュー時のキャッチフレーズは
「井森美幸16歳、まだ誰のものでもありません」
だったそうです。
いまだに誰のものでもありませんよね。(笑)

そうこうしている間にもバクの鼻血は勢いを増すばかり、
玄関中が血の海と化していました。

いったいひとりの人間の体から、どれだけの血が出るのだろう。
人間の体は70%が水でできている、と理科の授業で
教わった覚えがありました。
そして地球の70%は海である、と社会の授業で習いました。
また、人間の脳は普段30%しか使われていない、と
うちのお父さんは酔うと決まって言っていました。
残りの70%を発揮できるようになったとき、俺は社長になれる、
とも言っていました。

あれから15年、父はいまだ係長です。

そんな係長止まり(父)の話は置いておいて、
バクの鼻血はさらにその勢いを増し、ついには自らの体を
ちょっと浮き上がらせるほどになりました。

「浮いた! 浮いたよ! 浮いたよバク!」

私はバクにそう言いました。
思えばひっこみじあんで人見知りの激しかった私が
クラスメイトをアダ名で呼んだのはこの時が初めてだった気がします。

バクは頭の角度を変えることで自らの進行方向を
自由に変化させられることを学びました。
最初は下駄箱にぶつかったり、意地悪な兄嫁になじられたりしましたが、
ものの4〜5分(あとから時計で確認したら4〜5分でしたが、
そのときの私には、それが永遠のように感じられたものでした。)
で2段噴射で壁を登れる技までマスターしていました。

「2段ジャンプだ!」と、そこに居合わせた人々が賞賛しました。
「やればできるじゃん!」と私は言いましたが、私のその言葉は
周りの観衆の拍手によってもみ消され、無かった事のような
扱いでした。 結果的に。
ちょっと恥ずかしかったけれど、少しだけ快感でもありました。
スタンディングオベーションは7分ほど続きました。
手の平がちょっとかゆくなりました。
バクはこの時、スタンディングオベーションマスターになりました。
みなが口々に「やつは、やつこそはスタンディングオベーションマスターだ」と
言いました。

学級委員の山本は、
「この技は彼の名前に因んで『バクジャンプ』と名付けよう!」
と言いました。
賛同するものは一人もいませんでした。

山本は寂しそうに帰っていきました。
それ以来、山本の消息を知るものはいません。
しゃしゃり出てくんじゃねぇよ!山本が!クズが!


15年経った今でも、この時の山本の寂しそうな背中を
思い出すときがあります。

そんな山本はさておき、
バク(スタンディングマスターオベーション)は噴射の出力を上げて玄関から外に出て、
そのまま空の彼方へと消えたのでした。
バクは空へと昇る瞬間、私のほうを向いて
少しだけ微笑んだように見えました。
…いや、どうだろうな…
でもそれは私の勘違いかもしれません。
私はよく勘違いをする子で、「うろおぼえ」を「うるおぼえ」って
言ったりしちゃっていました。

バクのあの時の微笑みも、きっと私のうるおぼえだと思います。


それから3日が経ち、1週間が経ち、1ヶ月が経っても
バクは戻ってはきませんでした。
卒業式の頃には学校のみんなはバクのことはもう忘れていました。
クラスのみんなにそれとなく聞いてみても、
「バク? バクってなに?」「バグってハニー?」
といった調子でした。
「バク? バクってなに?」が3割、
「バグってハニー?」が6割といった状況でした。
残りの1割は「どちらとも言えない」という回答で、
日本人の曖昧さ、ことなかれ主義の本質を垣間見た思いでした。


私は中学に入学しました。
バクがいれば同じ中学に行くはずだったんですが、
それも叶わぬ夢となりました。

私はそれから一生懸命に勉強して、灘高、東京大学とエリートコースを進み、
アイオア大学に留学、宇宙科学を学び、NASAに入所しました。
そして数カ月の訓練の後、日本人女性としては3人目の宇宙飛行士として
スペースシャトルに乗り込みました。

シャトルの窓越しに蒼いダイヤを見ながら、今私がこうして宇宙にいるのは
15年前空の彼方に消えた彼の消息をつきとめるためなのかもしれない
と思いました。

シャトルの船長、デビッドが私に話し掛ける。

「ヘイ、メモリ、今日2月14日は何の日か知っているか?」

「バレンタイン・デーでしょ?」

「地球の磁気圏のことは?」

「・・・ヴァン・アレン帯よね。」

「HAHAHAHA! バレンタイン! ヴァン・アレン帯! HAHAHAHAHAHA!!」


クルーのみんなが笑った。
アメリカ人のギャグセンスは私には理解できなかった。


そんな中、私は
「そうだ、子供が産まれたら『バク』と名付けよう」
なんて思った。

それがのちの大和田ば…
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posted by ワカサ at 00:46| 裏・働け!メモリちゃん | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする